日時計日和

~地球は回り日はまた巡る~

HomeTravel目次

天智天皇ゆかりの時の史跡1
(奈良:飛鳥水落遺跡と周辺)

大化の改新で知られる中大兄皇子(後の天智天皇)。日本書紀には「中大兄皇子が初めて漏刻(水時計)を作り、人々に時刻を知らせた」との記載が2か所あり、うち1か所には日付の記載があります。この故事にちなみ、記載の日付を現代の暦に換算した6月10日が「時の記念日」に定められています。そんな「時」との縁も深い天智天皇ゆかりの地・飛鳥で、漏刻の施設跡とされる飛鳥水落遺跡とその周辺を巡りました。

飛鳥水落遺跡

飛鳥水落遺跡
水落遺跡全景

はじめに紹介するのは、水落遺跡です。水落遺跡は、660年に中大兄皇子が最初に作った漏刻とその付属施設跡であるとされています。ここでは建物の柱の礎石のほか、水を通すための木樋や銅管が発見されています。

飛鳥水落遺跡
水落遺跡:南側から望む

漏刻は砂時計のように重力を利用した水の移動で時間を計測する時計です。少しずつ「漏れ」「落ちる」「水」で時を「刻む」ことから、この時計を「漏刻」、遺跡の名を「水落」遺跡と呼ぶようです。漏刻の模型は、奈良文化財研究所奈良資料館のほか、近江神宮明石市立天文科学館などにも展示されています。

飛鳥水落遺跡受水木箱跡の標示
受水木箱跡の標示

この石の台座(復元)の位置に漏刻が置かれていたと推定されています。実際に水落遺跡に漏刻の模型を設置した写真が「奈良文化財研究所のブログ」にあります。漏刻の仕組みについては「多摩六都科学館のサイト」が分かりやすく説明してくれています。

飛鳥水落遺跡建物礎石跡
建物礎石跡

建物の礎石跡も残っています。丸い穴に柱をさしていたようです。

飛鳥水落遺跡の柱
柱(復元)

遺跡内には建物の柱跡が復元されています。遺跡の案内表示の説明によると、建物内には1階に漏刻が、2階に鐘が設置され、漏刻で計測した時刻を鐘をついて飛鳥京内に知らせていたそうです。

飛鳥水落遺跡周囲の田園風景
飛鳥水落遺跡周囲の田園風景

水落遺跡のすぐ横の風景です。1400年ほど前はこの辺りが日本の中心でしたが、今ではのどかな田園風景が広がっています。このあと、少し歩いて蘇我入鹿首塚と飛鳥寺を訪れました。

蘇我入鹿首塚

蘇我入鹿首塚
蘇我入鹿首塚

645年、中大兄皇子(後の天智天皇)は中臣鎌足と共に蘇我入鹿を討ち、クーデターに成功(乙巳の変)、これが大化の改新につながっていきます。その蘇我入鹿の首塚とされるものが水落遺跡から徒歩約5分の場所にあります。蘇我入鹿の首がここまで空を飛んだとも、供養のためにここに埋めたとも言われています。

飛鳥寺と飛鳥大仏

飛鳥寺本堂
飛鳥寺本堂

蘇我入鹿首塚の隣にあるのが飛鳥寺です。天智天皇の時代よりさらに古く、587年に蘇我馬子が建立を発願し、596年に完成したとされてます。もとは蘇我氏の氏寺でしたが、乙巳の変における蘇我氏討伐では、中大兄皇子(後の天智天皇)陣営の拠点となるなど、天智天皇とも縁の深いお寺です。

飛鳥大仏
飛鳥大仏

飛鳥寺での必見は飛鳥大仏。名工・鞍作鳥(止利仏師)作と伝えられる銅造の釈迦如来坐像で、国内で制作された最古の仏像(609年完成←奈良の大仏より140年以上古い)とも言われています。アーモンド型の目など、当時の飛鳥仏に共通する特徴も認められます。

飛鳥大仏
飛鳥大仏

歴史の重みからしたら国宝間違いなしの飛鳥大仏ですが、現在は重要文化財指定となっています。鎌倉時代の火災でその大半が失われ、ほとんどが後世の修復・復元のためとか(それを言ったら奈良の大仏も同じな気もしますが…)。わずかに目の周囲など顔の一部と右手の指数本が当時のオリジナルとされています(諸説あり)。

交通案内

水落遺跡へは、近鉄・橿原神宮前駅東口から明日香周遊バスに乗り約10分。飛鳥停留所すぐ(徒歩3分程度)です。水落遺跡の隣は農産物直売所(あすか夢の楽市)となっていて広い駐車場もあります。

Google Map:飛鳥水落遺跡蘇我入鹿首塚飛鳥寺

次>天智天皇ゆかりの時の史跡2(大津:近江神宮と日時計)